櫛祭:9月第4月曜日 安井金比羅宮
花街祇園の真ん中にある安井金比羅宮、通称金比羅サンは、土地柄のせいで常の日も粋すじの参拝客が目立って多いので有名です。特に華やぐのが9月の“櫛祭”の日。当日のメイン・イベントの女人風俗列には、現代の舞妓姿や、京都の伝統文化の保存と継承に尽力した、日本画家で風俗研究家の吉川観方(1894〜1979)氏の考証による、明治・大正の昔なつかしい結び髪から古代に至るまでの装束にドレスアップした女人の一行が、久志塚前での祭典の後、東大路・四条通で、女人絵巻をくりひろげます。
お問い合せ 安井金比羅宮
TEL 075-561-5127
温習会:10月1日〜6日
日ごろ京舞井上流の研鑽に励んでいる祇園甲部の芸妓・舞妓さんたちが、技芸を披露する行事が温習会です。春の華やかな「都をどり」と違って、温習会は舞に目のこえた通の人が多く集まりますので、しっとりとした京舞の芸を発表するのと同時に競う場となります。
金比羅宮例祭:10月 体育の日の前日
金比羅神といえば航海の安全を守ってくださる海の神として知られていますが、安井の金比羅宮はなぜか悪縁を切り、良縁を結ぶ神として信仰を集めています。この地に讃岐の金比羅大権限の祭神が勧請されたのは江戸時代の元禄8年のこと。10月10日の例祭では五穀豊穣、家内安全を祈って神事が行われ、体育の日の前日の神幸祭には、御鳳輦など大祭の祭具を飾りつけ、子供樽神輿や花車が東山周辺の氏子町内を巡行します。
禅居庵大祭:10月20日
この日禅居庵では、中国から来られた開山の大鑑禅師が袈裟に包んで持参された、中国の土で作ったといわれる摩利支尊天がご開帳されます。顔は天童女、身には甲冑をつけ、頭に宝冠を戴いて金色の7頭の猪に乗っておられるそうです。6本の手に弓矢剣、糸針などを持って悪魔を降服し女人を助け、五穀豊穣をもたらすというありがたい仏様です。11時より法要があり、午後2時から採灯大護摩供が行われ、護摩木を焚きます。
時代祭:10月22日
時代祭は、明治28年に平安遷都千百年記念事業で、平安神宮が創建されて以来行われている、京都三大祭りのうちの一つです。京都御所を出発して平安神宮まで、明治から平安時代にいたるまでの時代の衣装を着て、歴史上の人物に扮した行列が続きます。芸妓・舞妓さんも紫式部、清少納言、小野小町、静御前、巴御前などに扮装して参加します。
祇園をどり:11月1日〜10日
祇園東では11月1日から10日まで「祇園をどり」を開催します。平常は映画館として使用されていますが、前身は祇園東の歌舞練場だった祇園会館で、華やかに繰り広げられます。藤間流の紋寿郎師が振付・演出をし、第一景から第七景までは、京都の名所を巡る華やかな舞台となり、最後の第八景は祇園東小唄で盛り上がります。
かにかくに祭:11月8日
祇園を愛し、たくさんの作品を残した劇作家であり明星派の歌人であった、吉井勇(1886〜1960年)を偲ぶ行事で、祇園白川畔の歌碑に芸妓・舞妓さんが菊の花を献花します。かにかくに祭とは、吉井勇が詠んだ「かにかくに 祇園は恋し 寝る時も 枕の下を 水の流るる」という歌にちなんで名付けられました。歌碑が建立された11月8日を記念して毎年行われ、当日は歌碑の前にお茶やお蕎麦の席が設けられ、芸妓・舞妓さんが接待します。
顔見世興行:11月30日〜12月26日
12月、歌舞伎発祥の地に建つ南座では顔見世興行が行われます。江戸時代、劇場と俳優は専属契約で結ばれており、契約期間は11月から翌年の10月までの1年間で、劇場は毎年11月(京阪では宝暦の頃から12月)に、俳優の新しい顔ぶれによる座組で開場されていました。「顔見世」というのはその興行のことで、「歌舞伎の正月」ともいわれ、1年のうちでもっとも重大な興行だったので、関西から下ってくる俳優も、江戸から上ってくる俳優も、多くはこの機会に契約し、東西ともに盛んに行われていました。今では12月の南座での興行のことをこう呼び、現在でもまねき看板(勘亭流という独特の太い字で書かれた役者名と紋を描いた庵型の看板)や、櫓など劇場装飾に面影が残っています。南座にこの「まねき看板」がずらりと上がる「顔見世」は、京都の師走の風物詩となっています。
空也踊躍念仏:12月13日〜除夜(31日は非公開)毎日16:00頃から
六波羅蜜寺の開祖、空也上人は「念仏の祖」といわれていますが、鎌倉時代には「お念仏」を弾圧された時がありました。しかしその弾圧からのがれるため、見つからないように夕暮れ迫る頃から本堂の内陣で、密かに行われていたのが現代に伝わっているもので、別名をかくれ念仏ともいわれています。「南無阿弥陀仏」という外部に聞かれると分かる言葉は唱えず「モーダナンマイトー」「ノーボーオミトー」というように、聞かれてもわかりにくく、いつでも止めることができるように唱えます。これは歴代の住職が口伝のみで現代に伝えられているもので、その動作・所作は空也上人の当時のままを守っています。このお念仏は「罪業消滅」つまり1年間の中で知らず知らずに犯した罪業の消滅と新しい年がいい年であることを祈るもので、重要無形民俗文化財に指定されています。
除夜の鐘:12月31日
12月になれば「北山しぐれ」が降り、街では「セッソロシ(忙しい)おすなあ」の言葉が行きかいます。「事始め」「煤払い」「冬至湯」や門松などの「飾りつけ」をすました京の大晦日、洛中洛外にいんいんとこだまする鐘のなかで、撞木をつく僧侶の数が17名という知恩院の大梵鐘の百八つの鐘は煩悩解脱を祈るのにふさわしい荘厳さです。「えーい、ひとーつ、そーれ」とつきはじめて、つき終わるまでが約2時間。人々の感慨をのせ、余韻を響かせながら、行く年ともども闇へと消えてゆきます。
をけら詣り:12月31日夕刻〜元旦早朝
大晦日の夜半から元旦の未明にかけて、八坂神社境内では「火縄どうどす」の呼び声とをけら火を求める人、手にした人でざわめきます。をけらは、薬草の「オケラ」のことで、白朮と書きます。疫病の神をオケラを焚いた煙で追い払うという古代信仰が、祭になって今に続いているのでしょうか。八坂神社の鉄灯籠の神火を移したをけら火を、さらに縄に移したものを「吉兆縄」といい、京の家々では、この持ち帰ったをけら火を種火に、元旦の大福茶をわかし、雑煮を焚くのがならわしです。境内や参道は、消えないようにと、くるくると回すをけら火がきれいです。
情報:「おこしやす祇園/祇園商店街振興組合」サイトより http://www.gion.or.jp/top.htm
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